七丁目の夕日
高石の歴史は昭和35年の創立から始まりました。
当時はまだ自動車も高価なため台数も少なく、自動車教習所もほとんどありませんでした。
今では、一家に一台は自動車が普及している時代。
運転免許証はなくてはならない存在となりました。
古き良き時代へ皆さんとタイムスリップしてみましょう。
この当時通われていた方も、もうご高齢になられているようです。
当時は、卒業時に記念撮影などもされていました。
もし、おじいちゃんが高石に通っておられたら、卒業写真をお持ちかもしれませんね。
当時はまだ自動車も高価なため台数も少なく、自動車教習所もほとんどありませんでした。
今では、一家に一台は自動車が普及している時代。
運転免許証はなくてはならない存在となりました。
古き良き時代へ皆さんとタイムスリップしてみましょう。
まずは周囲の風景です。 住宅が少し建っているだけで、ほとんどは田畑です。 ここが現在のように家が建ち並ぶようになるのはまだ先のこと。 周辺の道路も、一部がアスファルトに舗装されているだけで、 ほとんどがまだ地道のままでした。 下の画像は、コースの拡大です。 今では考えられない台数の自動車がコースを走り回っています。 当時のコースは現在の倍以上の面積がありました。 左上のコース、何かわかりますか? 実は、軽自動車用のコースなんです。 以前は、普通と軽自動車が別れていたんですね。 |
教習車の写真です。 二輪車や普通自動車にまじってオート三輪も教習車として使用されていました。 下の画像は、別の角度から撮影されたものです。 ずらーーーーっと並んだ教習車達。 まだまだ手前に写っていない車体があります。 カーレースでもできそうな広さと台数ですね(笑) |
当時の駅に建てられていた看板です。 住所ではなく「駅前」と書かれているのは、 駅を降りると周りが田畑だったため、 すぐに見えたそうです。 ただ、駅からは少々歩くので前なのかどうかはさておき(笑) 当時はスクールではなく教習所表記です。 スクールと名前を変えるのはまだ先の話だそうです。 今は少ないですが、教習所で練習をして直接試験場で技能と学科の 試験を受ける人もいたので、本科生と練習生に別れてたんですね。 タイヤの跡がかなり斬新。 |
この当時通われていた方も、もうご高齢になられているようです。
当時は、卒業時に記念撮影などもされていました。
もし、おじいちゃんが高石に通っておられたら、卒業写真をお持ちかもしれませんね。